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ことの発端は30年以上前に遡る。世界70数ヶ国を歩き回り、途上国に勤務する機会に恵まれた。そこで痛感したのが世界における日本の技術者そして庶民に対する信頼の高さであった。日々の食を気遣う人々が身の安全と心の安らぎのために必要としたのは日本製のラジカセであり、勉学をしたい裸足の子供たちが求めるのは日本製の鉛筆やボールペンであった。途上国の高官は日本から来る大臣や大使ではなく、ともに働く日本の技術者や現場の人々を尊称で呼び、ほんの些細な比率であっても日本企業が事業に係わることを熱望した。日本製品に対する評価の域を超えて、日本の技術者や働く人々に対する絶大なる評価がそこにはあった。人々ひとりひとりが力を尽くして働き、技術を磨き、社会を変革して生活を高めていった日本の姿に憧憬の眼差しを向けていた。驚いた。そして自らの無知を恥じた。
振り返ってみれば日本において、小学校から大学に至る学校教育でそうしたことを学ぶことはなかった。貴族の文物や武士の武具を集めた博物館はあるが、庶民の日々の生活を中心におき、その生業と技術の進展の姿を示す博物館も科学館もなかった。米国では難民として逃れてきた人々が大地を耕し丸太小屋の手工業を起こし、そして今日を創り出してきた姿を物語る博物館が首都ワシントンの中心にあった。英国では現代社会を創り出した産業革命をもたらした人々の活動と技術の変遷をつぶさに語る科学館が国の中心におかれていた。産油国の片田舎の村にも日本の真珠養殖技術がその村の生活にもたらした影響を語る資料館があった。ドイツにおいて然り、トルコにおいても然りである。国の中心、首都の真ん中におかれるべきは何か。教育で語るべきは何か。改めて考えさせられた。
明治から今日まで、そして廃墟と化した第二次世界大戦後、産業を復興し生活を再構築することに全てを投入して、目を他に転じる余裕を持ち得なかった。改めて「技術の歴史」、「社会の歴史」、「人々の歴史」の始点から事柄を見直し、集大成・体系化することが必要である。時あたかも「公害の町」として世界に知られてしまった四日市市が公害を克服して環境に優しい町に変貌した姿を世界に発信しつつ、途上国における公害の克服に貢献したいとの市長の想いを知った。1990年に国際環境技術移転研究センターが発足し活動を開始した。今日、その意味の大きさは計り知れない。
1991年に戦後社会の第一線で活躍した社長・会長など34名の人々が産業技術と歴史を語る懇談会に参集した。そして泊り込みで論じ合う中から産業技術の歴史の継承と未来への創造という報告を纏め、30項目の具体的な提案を行った。同時に技術者としてあるいは現場を支えた者としてその経験と思いを「まっ白なバトン―炎人類から新人類へ―」に綴った。その心は「バトンは炎人類から新人類へ既に手渡された。真っ白なバトンに如何なる彩と輝きを与えるか、みなさまの時代である。」と若者に語った言葉に集約されている。そして「プロジェクトX」の時代を迎え、さらに幾星霜を経て、北九州市に日本の近代化を支えた鉄鋼を中心とした産業技術の博物館が、そして東京の日本橋に国立科学博物館の産業技術史資料情報センターが開設した。
2002年に中小・中堅企業の経営者が集まって新たな動きが始まった。生活や社会を支える日本の競争力の源泉は多様である。工場現場もあれば企画や販売そして経営の現場もある。大企業もあるが中小・中堅企業もあり、企業現場だけでも多岐にわたる。さらに公務や教育そして消費者・市民運動の現場もあり多彩である。それぞれの現場で技術革新や社会変革、制度改革や人材改新の努力が日々積み重ねられ、その集積が今日の生活や国際競争力を形成している。こうした実際の現場の姿を率直に語り、それが持つ意味と価値を論じ合うことによって、自己研鑽と世界への発信の機会とすることが、追走者から先走者となった日本にとって重要である。そうした勉強会の発意が2006年6月の社会技術革新学会、通称、現場基点学会の発足に繋がった。
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しかし学会の歩む道のりは必ずしも平坦なものではなかった。学会活動の柱として何を立てるか、論議が分かれた。一方に受託事業や調査事業に積極的に取り組むべしという主張があり、他方に先ずは学術総会の開催と学会誌の発刊を行うべきだという主張があった。あるいは多くの学会の今日の状況を如何に考えるべきかという課題が横たわっていた。企業活動の一部である研究は対象になるにも拘らず、企業活動の根幹を成す企画・調査から生産・販売に至る活動や経営にかかわる事柄などは学会発表や論文投稿の対象になり難いという実情がそこにはあった。論議は多彩であった。
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○○ 橋 ○○
(ボスポラス海峡)
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1年の論議を経て学会の理念は固まった。技術革新から社会変革まで企業現場に限らず社会を構成する諸々の現場の営みを広範囲に対象とし、口頭発表のための学術総会の開催と論文投稿のための学会誌の発刊を学会活動の柱に据えることとなった。そして、自己研鑽と同時に社会への発信を重視し、これらの活動は学会の会員に限定することなく会員以外の方々の参加も求めて広く社会に開放することとなった。こうして2007年10月に第1回学術総会を開催し、11月にホームページを公開して、2008年の夏には学会誌を掲載する予定である。
省みれば化学工学はじめ多くの学問が現場の活動を調査し記録に留めることから発展してきた。「知の爆発」がますます進む今日、「互学互教」の精神のもとあらためて学問を現場の人々の手に取り戻し、「社学連携」によって現場の人々にとって使い勝手の良い学問体系へと「知の世界」を昇華させていくことが不可欠である。化学生物総合管理学会の発足など趣旨を共有する動きも顕在化している。社会技術革新学会の活動が人々が集う「知の市場」を創造し、現代社会の多彩な現場の種々の活動の多様な情報の集積をもたらし、新たな学問体系へと集大成・体系化してゆく契機となることを確信している。そしてこうした背景の基に、国の中心に「産業技術の殿堂」や「働く庶民の殿堂」を創るという夢が実現する第一歩となることを祈念している。
社会技術革新学会は、学術総会の受付係を自ら務めて憚らない社長・会長の例にも示されたように、個々人の高い意識と具体的活動への参画によって成り立っている。改めて会員の皆様に御礼を申し上げたい。そして広く社会の皆様に参加を呼びかけつつ、筆をおくこととしたい。
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